阿部典史選手(ノリック)が、子どもにバイクの楽しさを知ってもらおうと「ノリックと親子でバイク教室」の開催を始めたのは、1998年のことでした。
そして「世界に通用するレーシングライダーを育てたい」というノリックの強い意志により、2006年ロードレースチーム「チームノリックJR」が結成され、野左根航汰選手(当時10歳)、山田誓己選手(当時12歳)、近藤湧也選手(当時14歳)の3人のライダーと共にチームはスタートしました。
しかし、監督のノリックは2007年10月7日、不慮の事故により突然他界。
2008年、チームを存続するかどうか、ノリックの父である阿部光雄氏は悩みましたが、沢山の方々の応援により、チームを続けていくこととなりました。
山田選手が伊藤レーシングへと移籍したため、チームノリックJRは、野左根選手がチームノリックJRのエースライダーとなりました。
野左根選手は、この年、筑波選手権GP125 クラスとS80 クラスに参戦し、GP125 クラスでは、5レース中4レース完走の1位および2位の結果を残し年間ランキング4位でシーズンを終えました。また、S80 クラスでは、ベテランライダーや国際A級ライダーがひしめく中、5レース中4レースを完走、年間ランキング4位と健闘しました。
2009年、チームノリックJR と野左根選手は、筑波選手権と東日本チャレンジカップ選手権(菅生、もてぎ、筑波で各2戦づつ開催)のGP125 クラスに参戦。
筑波選手権では全レースポールポジションを獲得、4戦3勝という素晴らしい成績をおさめ、シリーズチャンピオンに輝きました。
また、東日本チャレンジカップでは、国際A級ライダーとの混走の中、ランキング2位と健闘。
そして2010年、ノリックの強い希望でもあった「チームノリック」として、全日本ロードレースへの参戦を、14歳の野左根航汰選手とともにスタートさせます!
ノリックも才能を認め、日本を代表するライダーとなる素質を備えた野左根選手を、どうぞ皆さま応援してください!
6:31 AM
私は関西地区に住んでいるので鈴鹿、岡山ぐらいしか行けませんがモータースポーツを盛り上げるため、ガンバッテくださいね。
息子たちにもモータースポーツの楽しさを教えたいけどそのような環境がないので
サーキットなどに連れて行き伝えていきたいと思います。